聖天の森(ショウテンノモリ)
吉野”から熊野に至る、大峰山奥駈道のほぼ中間点に、「釈迦ヶ岳」(1799.6m)が聳えている。その南にある「大日岳」(1593m)との間の鞍部(1500m)に当る場所が【深仙】(「神仙」とも)。「「釈迦」・「大日」から、何れも30~40分の距離にある。此処は、旧くから“大峯の中台”といわれ、特に聖護院系統の本山派修験では、『正灌頂』場として重要な位置を占めている。今は、「大峯中台八葉深仙大灌頂堂」と避難山小屋があるだけである。しかし、本山派修験にとって、現在も此処がその最重要拠点であることに変わりはない。明治期に至るまでは、此処には、この灌頂堂の他にも「護摩堂」や「宿坊」など、数棟の建屋があった。今あるお堂の中には、役行者、不動明王、聖宝・理源大師、円珍等の諸像が祀られているが、これらは以前は「釈迦ヶ岳」山頂にあったという本堂や、神仙の諸堂に鎮座していた諸尊なのではと思われる。

この大峯の中台「深仙」は、大峯奥駈道・75靡の“第38靡”であるが、その直ぐ南に“第37靡”の【聖天の森】がある。“森”とあるから、木々に覆いつく林が連想されるが、そんな風景は此処には無い。「深仙」から「大日岳」に向う奥駈道は、東方は、原生林に覆われた前鬼川や、上流の北股川・深仙股谷等を眼下に望み、更にその向うには池原貯水池を越えて、「大台ケ原」から「熊野灘」に落ち込む壮大な山塊を遠望出来る。「尾鷲湾」まで直線距離30km。西方は、十津川の支流、滝川の更に上流の「赤井谷」を挟んで、「釈迦ヶ岳」から西南方に流れ下る支尾根が指呼の間。これらの景色を遮る程の林、或いは森は無い。だが、「聖天の“森”」というからには、昔は、“森”様の木々が繁っていた事も考えられる。

「聖天の森」は、何処であったかは特定出来ていない。「大峯縁起」や「細見記」等には「神仙の南、僅かばかりの所に…」と書かれており、いずれにしても「聖天の森」は“深仙”から南に数分も登った所にあったのであろうと思われ、それらしき大岩がある。昔からの言い伝えによると、この“聖天の森”に、役行者が『聖天』(歓喜天=印度のガネーシャ神)を勧請してお祭りしたとされている。しかし、この大峯の中台近く、山深い奥山では一般の老若男女がこの尊い「聖天」を拝むことが叶わないとして、その後、この“お像”を吉野山の【櫻本坊】に遷座、お祀りされたのが、現在「櫻本坊」にある“吉野聖天”である。毎年10月1日吉野聖天大祭が厳修されています。